塩谷郡市医師会 山田 聰 会長

救急体制改善に力入れる

この地方の緊急の課題は、救急体制の確立だ。マンパワーが足りない中、
工夫を凝らしてさまざまな取り組みを進めている。
山田聰会長は医師同士のチームワークを緊密にしながら、この難局を乗り切ろうとしている。

山田聰会長
先人の足跡を掘り起こし
■塩谷郡市医師会の概要や活動内容などを教えてください。

 会員は平成23年11月現在で99人です。エリアは矢板市、さくら市、高根沢町と塩谷町の2市2町です。一番の課題は、この地区に夜間の救急体制がないことです。今のところ、土曜日と日曜日、祝祭日午後6時半から9時半まで「おとな・こども夜間診療室」が矢板市とさくら市で開設されています。毎日にしたいので
すが、どうしてもマンパワーが足りません。基幹病院もほかの地区に比べると弱いですね。
 そのほかわれわれの独自の活動としては、新聞に掲載された会員のリレーエッセーを「かかりつけ医のココロ」と題して本にまとめました。また、現在、明治以降のこの地区のお医者さんの歴史の調査を手がけています。戦後の医師会の歩みは既に本にしたので、それ以前の医業史を作ろうというものです。今のわれわれは、先輩方が築き上げてくれた歴史の上に存在しているわけですから、それを掘り起こしたいと思っています。岡一雄副会長を中心に取り組んでいます。
 一般家庭に向けては、「塩谷医療圏医療機関一覧」というパンフレットを作りました。2市2町にある医療機関を網羅して、診療科目や診療時間、休診日などが記載してあります。各家庭、各学校に配ったのでぜひ活用してほしいですね。会員向けに各医療機関の専門的な診療内容を記載した一覧も作りました。医師同士が紹介し合えるようにという狙いです。これらによって救急体制が手薄な分をカバーできればと思っています。

大敵は肥満と塩分摂取
■いろいろ活発に活動されているようですね。

 課題の救急医療については、何度かシンポジウムを開いてその都度、報告書にまとめてきました。市民公開講座は7回目になります。生活習慣病から始まって、脳梗塞や認知症などについてまで広がってきました。2市2町持ち回りで開催しています。参加者も多く好評です。この地区では医学講座が戦後すぐから行われていて、300回を超えたところで冊子にまとめました。先人たちが活発に活動していた様子が分かります。

塩谷医療圏医療機関一覧
■住民に対して健康面で注意してほしいことはありますか。

 肥満と塩分の摂取ですね。つまりは生活習慣病です。私が診療していても、例えば漬物がおいしい時季になると、血圧が上がってくる人が多いのです。講演会などを聞いてくれる人は健康にむしろ関心のある方です。病院に行くのをいやがって、患者になってくれない人がたくさんいる。押しつけがましくなっても、われわれ医師のほうから出かけていかなければならないのかもしれません。

会員同士で助け合い
■高齢化が進んで在宅診療も課題になってきていると思いますが。

 会員の中でも在宅診療に取り組んでいる人は、まだまだ少ないのが現実です。普段の診療に忙しくてどうしても手が回らない。もっと医療機関が増えて、いい意味での競争が働けばいいと思います。一つの診療所が在宅診療で診られる人数は、5人くらいで手いっぱいという感じです。これからは在宅で看取る人の診療のネットワークをしっかりとつくりお互いに休むときは休む、働くときは働くという体制を整えることが大切だと考えています。在宅で診るというのは家族の方にもかなりの負担がかかるのですが、これからは本当に重要な課題になってきます。医師だけでなく介護分野の人たちとの連携も深めていかなくてはならないと思います。

かかりつけ医のココロ(エッセイ)
■医師会で緊喫に取り組んでいきたいことはありますか。

 夜間診療室をウイークデーにもできないかと思っています。そのために参加する人がもっと増えてほしいと希望していますが、近く開業する若い先生たちがそうした方向で考えてくれているようですので、これは明るい話題ですね。
 地方で開業するということは、郷土の健康全般を担うということだと思います。一方で一部の医師だけにしわ寄せがいかないように持続できる体制が必要です。開業医同士も助け合っていかなければなりません。
 住民の人たちに対しては、健診の受診率が低いのでぜひ受診してほしいということを訴えたいですね。自分の状態を知って、それを改善する方法を自分で見つけていただきたい。われわれは小さな会ですが、塩谷郡の健康を担う心構えだけはあるので、住民の皆さんの期待に応えていきたいと考えています。

東日本大震災で得た教訓
■東日本大震災の影響はありましたか。

 ある会員が他の会員たちから募った医療品などの支援物資を持って、いち早く石巻に入りました。現地で働くつもりだったようですが、開業医であるために長期滞在が難しく、結果的には250万円分くらいの物資を置いて帰ってきました。
 この周辺は被災地でもありました。新幹線が止まり、乗っていた1000人くらいの人たちを、塩谷町の医師団などが塩谷町の中学校の体育館に避難させました。そこでは電気も暖房も水も使えたのです。矢板市の私の診療所付近では、電気は1日止まりましたし、水は3日間出ませんでした。ですから何もできなかったのですが、塩谷町の先生方が積極的に活動して避難に協力してくれました。何の指令も出したわけではなく、2市2町の医師団がそれぞれに自分でできることをやっていただきました。矢板市内の診療所などでは、トイレも使えませんし、透析する水がなくて本当に困りました。停電になると診療機器や電子レセが動かなくて大変混乱しました。また、あの時は支払いは後でということで診療に当たりました。

■被災する中でも積極的に支援をなさったということですね。

 災害に対しての備えが不十分だったという反省の思いはあります。互いにもっと連携ができていれば、もう少し何かできたのではないか。誰かを被災地に送り出すためには、カバーをしなければなりません。助け合って患者さんを診療し合うようなことができれば理想的なのでしょうね。


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